世界全体が、「宗教」ということを誤解している。それは、何か絶対的な力を持った「神」に、「おすがり」して、「助けてもらう」イメージだからだ。「救われる」というイメージが、手で掬い取られるように思っている。そして、「宗教心」というと、絶対的な神の言うことを聞いて、従うことのように思われている。その仲介業者が、坊さん・神主さん・牧師さんということなのだろうか。
「実際、そういうイメージなのですか」と、イエス・釈尊・ムハンマド・智顗・親鸞・道元・日蓮に聞くとしたら、「まったく、違う!」と即座に否定するだろう。
「なぜ、そんな分かったような事が言えるのか」と、読まれている方は、思うだろう。それは、「そういうものではない」ということが、書いてあるからだ。
今、世界全体がその誤解のために、謝った方向に行って、戦争が起こり、多くの人が死んでいる。宗教の名のもとに、多くの人が苦しんでいる。旧統一教会・オーム真理教など、宗教がらみの問題も、本当の意味での宗教が、分からないことが原因だ。日本の各宗派内においても、宗祖の説いている真意が、誤解されている。
僕は、別に、信者を獲得して、言うなりのロボットを作ろうとする者でもなく、崇められたい者でもない。自慢をしているのでもない。お金儲けをしようとしているのでもない。誰かを操ろうとしているのでもない。魂胆もない。
ただ、誤解のために、ひどい目に遭っている人が多いことに驚くし、指導者が扇動し、宗教を利用して、民衆が犠牲になっていることを何とかしたい。そのために、「宗教とは何か」ということを、少しでも示していれば、誰かが「あれは、違う」と言うのではないかと思う。
もう、誰かが死んだり、苦しんだり、涙を流す姿を見たくない。決して、上から目線で、導いてやろうというのでもない。僕自身、「死にたい」「消えたい」「ドロドロした重い心」を抱えている。抱えているものの、それを超え、包み込んで、大丈夫なって、生きている。それが、「宗教心」なのだと思う。
そもそも「宗教」とは、一言で言えば、「目覚めた人の、目覚めた心の状態。気が付いた人の、気が付いた内容」だ。
「目覚めた人の心の状態」とは、「これまでの価値観と全く違う、これまでの価値観の底が抜け、ひっくり返り、これまでの自分も吹っ飛んで消えた。もう個人的な自分はいない。」というものだ。
「気が付いた内容」とは、広大無辺で、イキイキとした活力に溢れ、涸れることが無い。変わることがない。永遠。時間の概念も無い。とてもリアルな現実で、観念もイメージも無い。頑張らなくても、誰もが、もともと、完成されたものを持って生まれて来ている。そこに優劣は無い。それは、発想の転換でもないし、一つの見方でもなく、はっきりと、そうなのだと知った。その世界は、清らかで、嫌なことがあっても汚れない。つらい苦しい目にあっても、静かに燃えている火がある。決して消えない。でも、かすかで、静かだ。なかなか気づけない。だから、考え無い方が気付きやすい。そのために、静かに生きる。自分の価値観に凝り固まっていると、遠くなる。それで、毎日、考え無いように、同じことをして、その世界に近づく。その世界は、言葉で表現しにくい。言葉にすると、表現されたことに執われる。対象にすると、対象に執われる。誰もが、みんな、完璧さを具えている。具えているので、気が付けば、その完璧さに満足する。不足が無い。常にあふれ出ているはたらきがある。そのはたらきで、大丈夫になる。見栄も、自慢も無い。満たされて、足らないものは無い。それが、「浄土」だ。その生き方が、「再誕」「生まれ変わり」だ。誰もが、尊重し合って、心の底で通じ合っている。その世界は愛に満ち溢れている。柔らかな世界で、全てを受け入れる。敵もいない。罪をつくる以前の世界だ。罪をも受け止められている受容がある。一杯一杯にならない。自由だ。壁も、隔たりも無い。智慧があり、最善の方法に導かれる。肩に力を入れずに生きている。まかせても大丈夫だからだ。誰もが、同じ。違いが無い。一つ。海が同じ塩味なことと一緒だ。出来る出来ないも関係が無い。知識の多少も関係が無い。先入観のない人が近い所にいる。挫折や失敗した人の方が、近い所にいる。名誉欲・金銭欲・権力欲に惑わされ、満足し成功したと思っている人は遠い。これは、成功するためのトレーニングではない。すでに、完璧であることを知ったので、これから、成功する必要はない。
その気付きは、誰でも起きる。誰もが、等しく、もともと、完璧なものを具えているからだ。気付く心を具えている。それは、大そうなことではない。ちょっとしたこと、ちょっとした心の動き、ふとした休憩時間、山を見、月を見た時に、気付く。修行は要らない。頑張れば遠くなる。
実際に、「誰でも、気付ける」「誰もが、等しい」と、経典・聖書・宗祖の書物に書いてある。
特別な人・特別なことは無い。
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