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誰にでも当てはまり、なかなか、気付けないのが、宗教。
誰にでも当てはまるのは、法則とか、真実とか、本質とかが、例外なく当てはまり、物事を支えているから。
自分も、例外なく、支えられているから。
自分も、例外なく、本来、大丈夫なものだから。
それは、心が病んでいても、心が壊れていても、重たくて動けなくても、体が病気でも、年老いて何も出来なくなっていても、死を目前にしていても、思いを超えて、支えている。
自殺願望が有り、突然、死にたくなっても、心の奥底で、「そっちは、本当じゃないよ」と示してくれるもの。
依存していても、何も、気にしないで居られる支え。
体が不自由でも、自由な、イキイキ。
束縛されていても、のびのび。
不安になっていても、案ずることの無い安心。
イライラしても、心の奥底が、静か。
お金が無くても、「まあ、いいか。」
それは、大脳が知らない支え。
それは、大脳が生き詰っても、生き詰っていない受け止め。
それは、誰にでも当てはまるが、なかなか、気付くことが出来ない大丈夫さ。
だから、宗教の道は「白道四五寸」。「往き易くて、人無し」。
誰でも気付けるが、なかなか、気付けない。
何か、分かったようで、分からない。
そこに、「ゴマカシの商法」や「ダマシの罠」。
例えば、本屋さんの宗教関係の書棚は「悟り商法の本」ばかり。
「自分は悟りました」「悟りの世界はこのようなものです」「導きましょう」。
著者が、お金儲けの手段にしている時点で、欲。
自分の大脳を満足させることを目的。
「気楽に生きろ」「あなたは出来る」「気にするな」「発想を変えろ」で、儲けようとしている時点で、大脳の欲まみれ。
純粋な世界に居ない。
手段がある時点で、宗教ではない。
宗教は、無目的。
宗教は、手段の無いもの。
宗教をお金儲けの手段にしている時点で、純粋な宗教ではない。
いわば、似非(えせ)宗教。
似て非なる宗教。
宗教の皮をかぶったオオカミ。
宗教の着物を着た、もくろみ。
「発想の転換」「気楽に生きろ」「やれば出来る」は、表面の服装を代えただけで、何の問題も解決されていない。
それでは、グルグル。
その間に、受講料の出費。
受講料は、服装を代えるアドバイス料。
お金が絡んで、欲望がある以上、大脳の世界にいる講師先生。
「あなたは完璧」と言ったり、「自分の宗教は勝れている」「他の宗教は劣っている」と言ったり、「ジハードをすれば、神の国に行ける」と言うのは、全てが、大脳からの判断。
大脳が絡んでいる時点で、純粋宗教ではない。
優劣判断、お金儲け、欲、権力がらみ、枠、縛り、支配、命令、上から目線がある時点で、純粋宗教ではない。
口先だけの、「悟り」「信心」「信仰」「癒し」「救い」「神」「仏」「天国」「浄土」。
純粋な宗教は、判断が無いもの。
純粋な宗教は、目的もないもの。
純粋な宗教は、目的を叶える手段がないもの。
純粋な宗教は、思惑(おもわく)が無いもの。
純粋な宗教は、考えなくても大丈夫。
純粋な宗教は、考えが生き詰っても、大丈夫。
純粋な宗教は、考えが「死にたくなっても」、大丈夫。
純粋な宗教は、大脳の知らない世界。
だから、大脳に軽く休んでもらう必要がある。
私たちは、大脳を無くすことが出来ないので、「これは大脳の判断だ」と知って、「思い分け」し、大脳の毒されない所に居なければならない。
大脳が休んでいる状態で、判断なく見、判断なく聞き、適切に処理するのが、マインドフルネス。
「マインドフルネスで、成功する。頑張ることが出来る。出世する。能力を開花させる。」は、マインドフルネスを手段にしている時点で、誤り。
「ご利益がある」「願いが叶う」と、エサをぶら下げている宗教も、誤り。
純粋な宗教は、勝たない・無欲・無目的・無手段・無立派・無判断・無出世・無頑張り・無優劣・導きましょうが無く・上から目線も無く、認められようとすることも無い「凡夫」や「タダの人」として、たんたん・ただただ・日常生活を送っていたら、いつの間にか広がっていた、「心の奥底で、イキイキ、のびのびした、変わらない、広大無辺な自由な世界に居た」の、大脳の知らない癒し。
繰り返し、繰り返しの、日々。
「なんか、楽しい。」
「なんか、うれしい。」
「分からなくなっても、それが、何となく消えない。」
「もう、認めれようとしなくて良いんだ。」
「褒められようとしなくて良いんだ。」
「役に立たなくても良いんだ。」
「誰かに、証明されなくても良いんだ。」
「真理に証明されていれば、人間に証明されなくて良いんだ。」