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「明源寺の活動指針」令和4年7月 明源寺 寺報『梵鐘』301号

京都から明源寺に帰りまして、しばらくして、地元大学生との出会いがあました。彼は「お寺を中心にしての地域の活性化」と題して卒論を書くということで、明源寺のInstagram・Facebook・YouTube・ホームページを立ち上げてくれました。彼との打ち合わせで、「本来、お寺とはどのような存在なのか。現在のお寺はどうなっているのか。将来、お寺はどうあるべきか。西山形地区で明源寺は何をなすべきか。」ということを話し合っている内に、今後の明源寺の方針も固まって来ました。以下、それについてまとめました。



① お寺が田舎と都会を結ぶ中心となるべきではないか。明源寺として西山形地区に興味を持つ人を増やし、地域を活性化できないものだろうか。そのために、Instagram・Facebook・YouTube・ホームを使って、いろんな人に明源寺や西山形地区のことを知ってもらう必要がある。


② お寺は、本来、いろいろな悩みや相談事を聞く場であるので、鬱・ストレス・心配事で悩んでおられる方々に寄り添い、心の面でのサポートができないものか。


③ 現代社会において、自殺者・引きこもりの増加が問題となっているが、このことについても、仏教の立場から真摯に向き合う必要がある。それは、釈尊以来、生老病死に向き合うのが仏教だからである。


④ 日本全国の中、特に都会においてお骨を納骨できないでいる方が多い。それはお寺の敷居が高く、墓地も高額で、親子が離れて暮らしている家庭の事情に因る。明源寺には永代供養合祀墓があるので、そのようなお困りの方を何とか解決出来ないものか。また、お寺や新興宗教とのトラブルで困っている方にも対応し、受け入れるべきである。


⑤ いろんな相談事を受け入れるためには、お寺自身の敷居を低くし、常にざっくばらんにお話ができる雰囲気が必要である。


⑥ その際も、「門徒になれ」等の勧誘は行わず、宗教信条の有無や宗派を問わず対応する必要がある。


⑦ 現代のお寺の中には「搾り取る」ために活動している場合があるので、お金儲け的なことを第一とせず、社会に奉仕する福祉寺院の面を持つ明源寺であっても良い。


⑧ 宗派を超えて、他の宗派の方とも交流し、仏教の本質的な意味から共に歩むようにする。たまたま、明源寺住職は天台宗に学び、禅宗の師匠に師事し、スピリチュアル系の友人も多いことから可能だ。


⑨ 地元での地域活動を積極的に行い、日頃から振興会・自治会・大字・コミセンの方々と交流を深め、地域に馴染むことを心がける。明源寺が縄文時代・安達藤九郎・佐倉堀田藩との関係で重要な位置にあることから、それについての見識を深め、人脈を大事にする。中林山共同墓地のことも何とかする。



このような感じで、明源寺は「宗教的な問題で困ったことがあれば、最後の最後に、何とかする」お寺として動き出しました。このような活動は、ものすごく大変に思われる方も多いと思います。しかし、これは、これまで活動して来たことをまとめたもので、全く無理なことではありません。お寺としても、当たり前なことなので、今のところ、なんとなく問題なく出来ております。


この活動以外に、僕自身が最も活動の中心に置いていることが、「仏教の本質から、親鸞に対する誤解を解き、天台宗における誤った見解を何とかする」ということがあります。このことが僕の活動の半分を占めており、先ほど書いたことは残り半分に相当します。


これまで僕が学んで来た経緯から見て、親鸞について、ほとんど「本願成就」「得生」の観点から理解されておらず、それは誤りとまでは言いませんが、非常にぼんやりとした周辺的な理解となっています。結局、親鸞は、人情的・学問的・社会批判者として理解されているのが、現代の親鸞像です。親鸞自身は、「本願成就」「得生」し、その境地から『教行信証』を書き「顯浄土」「二廻向」を述べており、本質的境地である「本願成就」「得生」に触れることなく、親鸞を理解するとすれば、それは本質から離れた親鸞理解と言わざるを得ません。(一つ一つの言葉の意味については、長くなるので省略します)


また、天台教学に対するこれまでの理解の主流は「何々至上主義」「優劣論」「理論論」「イデオロギー論」「弁証法的理解論」です。これも、既に、何度か応答は済んでいるのですが、最近、新たな質問を受け、その質問に答え、道筋を示し、相手に納得して頂くため、時間がかかり、現在もその最中にあります。                  合掌


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