本当の宗教とは何かということが、はっきりしていないと、ニセの宗教にダマされる。ニセの宗教は、ヒツジの皮をかぶったオオカミのように、表面はおとなしそうに見えても、突然、本性を現す。どこに、罠があるのか、なかなか分からない。大学のサークルだったり、奉仕活動の集まりだったり、「お困りごとがあればお手伝いしましょうか」みたいな感じて、近づいて来る。
ニセの宗教の目的は、お金だ。霊・前世・死後・奇跡・特殊能力とかを持ち出すことで、「わたしには分かる」と言って、ウソかどうかも証明できないことで、元手要らずの、ぼろ儲けが出来る。だいたい、それが、ニセ宗教の本質だ。金儲けが、目的だ。勧誘された人に、財産が無ければ、誰か別の人を勧誘することで、その人の位が上がる。自分にお金が無くても、勧誘することで免除される。そうやって、会員を増やし、お金を集める。
本当の宗教の「本当とは、何か」ということがはっきりしていないと、誰もがダマされる危険がある。お寺の坊さんでも、自分たちのやっていることと、どう違うのかが曖昧になっている人が多い。宗教法人を取り扱う所轄の担当者もダマしが見破れない。
「本当とはなにか」ついて、①智慧に基づき、②解脱に基づき、③涅槃に基づいて説明する。その3つは、別々はないが、ややこしく無いように、3つの面で説明する。
① 智慧に基づくとは、「ああ、これはお金が目的なのね」と気付くことが智慧だ。本性を見破る目だ。「霊や祟りを持ち出して、恐怖心を植え付けようとしている」「お金で、恐怖心が除かれるというのは、お金が見あてか」「誓約書を書かせ、自由が無なく、束縛するのは本当ではない」「大人数で来るのは、それだけ自信が無く、集団で圧力かけるためか。勧誘する人は、質問に対する模範解答を暗記させられている。だから、同じことばかり言う。自分の手に負えないと模範解答の専門家を連れて来る。結局、堂々巡りになっているのは、自分たちの言いたいことだけを言っているからだと分かる。時間の無駄だ。気持ち悪い圧力。自由が無い。こっちの気持ちに寄り添えないのは、おかしい。自分たちの主張のみしか言わないあなた達と関わりたくないと思う」ことが智慧だ。勧誘者の本音・本質を見破るのが智慧だ。
② 解脱に基づくとは、「悟りの世界の本当のあり方」に気が付けば、本当でないことが分かる。本当の世界には、段階が無い。献金の多さや勧誘人数の多さで位が上がる時点で、本当ではない。本当の世界は優劣がない。教祖も信者も等しい。それに気が付けば誰もが佛陀。それに気が付いて、イキイキとし、油が注がれたようになっている人は、誰もが「キリスト」だ。「キリスト」とは、「油を注がれし者」という一般名詞だ。佛陀も、「目覚めた者」という一般名詞だ。真理を知れば誰もが佛陀で、キリストだ。教祖と一般人の隔たりは無い。本当の世界は、自由だ。制約が無い。誓約書は要らない。出入りは自由。去る者を追わない。誰もが、もともと、同じように尊い。特別な人はいない。特別な奥義も無い。奇跡も無い。恐怖心も無く、穏やかで、安らかで、明るく、清らか。今、ここ、この瞬間のみ。前世や死後の世界は作り話だ。地獄は、誰の心にもある。自分の心にも、ドロドロ・無関心・権力欲・貪り・争う心・比べる心・上への憧れ・蹴落とし・「自分だけ良ければ」・「あいつのせいだ」などはある。それに向き合いつつ、それが「転じる」ことが無いと本当ではない。「勝手気まま・何をしても良い」と説くことも本当ではない。本当の世界は、苦しみが無い、安らかで、穏やか。上に立つ政治家がしっかりしていれば、誰もが安穏はずだ。「しっかり本当の世界に基づいて政治をしてくれ」と言ったのが日蓮だ。弱者が苦しんだり、イヤな思いをしないように、北条家に「本当の世界の基づいて政治をしろ」と言ったのだ。『法華經』は、誰もが、もともと、平等で、第二段階、第三段階は無いと説く。『法華經』は、時間を超えた、永遠で、変わらない本質を説く。それを、誰もが、もともと、具えていて、優劣は無く、衆生も、釈尊も、過去佛も、未来の弥勒も等しいことを説く。『法華經』に、お金の多少の話は無く、誰もが、等しく「佛と同じ本質」を具足していることを一貫して説いている。それが佛の悟った真意だ。その本質から離れて、「折伏だ」の、「祟るぞ」の脅すのは、本来の日蓮の心や『法華經』の精神から踏み外し、勝手に自分たちの都合のいいように、捻じ曲げている。
③ 涅槃に基づくとは、涅槃は寂静という意味だ。「寂静」とは静か、強制力もない。静かとは、欲がなく、自慢が無い、自己承認欲求が無い。認められなくても平気。毀誉褒貶に左右されない。お金が有っても無くても平気。それは、本当のあり方を知ったからだ。大満足にいるからだ。何かが欲しいのは、足りないものが有るからだ。足りないものが無く、「もう、お腹がいっぱい」なのが、涅槃。究極を知った心理状態だ。どこで、何をしていても、何と言れようが、静か。上を目指さない。卑下も無い。毎日、たんたんと生きる。焦りも無い。生活の心配も無い。ノルマが無いので、精神的ストレスも無い。
本当の世界には、物語や理屈が無い。シンプル。「ひっくり返った目覚め」、「価値観の転換」があるものだ。
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