宗教とは、やさしさ。
地獄に落ちる時は、一緒に、落ちること。
一緒に地獄に落ちて守ること。
一緒に地獄に落ちても、自分は平気。
それは、宗教心が広く深く、不動で、変わらないから。
変わらないから、何処に居ても、同じ。
変わらないから、何処に生まれても、同じ。
変わらないから、地獄に落ちても、同じ自分。
変わらないから、生れを超えている。
変わらないから、死を超えている。
変わらないから、苦しみを超えている。
変わらないから、苦しんでいる方を何とかしたい。
変わらないから、一杯一杯にならない。
変わらないから、いつも一緒に傍にいる。
変わらないから、いつも寄り添っている。
変わらないから、全てを受け止めている。
変わらないから、全てを受け止めても、たんたん。
変わらないから、永遠。不変。
変わらないから、裏も表も無い。
変わらないから、魂胆が無い。
変わらないから、考えなくても大丈夫。
変わらないから、いろんなシガラミから、解き放たれている。
自慢も無い。
ウソも無い。
頑張ることも無い。
普通。
平気。
ただ、ご飯が美味しい。
そういう日常生活。
別に難しい教義を覚える必要はない。
別に、気合いを入れる必要もない。
別に、あえて、「救おう」と思わなくても良い。
その場、その時の人間関係を大切に、受け入れているだけ。
その場、その時の人間関係が、つながりながら流れ行き、それでいて、変わらない。
別に、上も下も無い人間関係。
導くも導かれるも無い。
師だから、弟子だからも無い。
同じ人間。
同じように、人間として、大脳に操られ、感情的になったり、落ち込んだり、訳が分からなくなったり、生き詰ったり、重たくなって動けなくなったり、死にたくなったりするもの。
お坊さんだから特別ということはない。
たまたま、お寺に生まれただけ。
それが偉い訳でも、すごい訳でも、尊い訳でもない。
たまたま。
ただ仏に近い環境に居ただけ。
おかげさまで、いろんな方と巡り合い、いろんな相談を受け、いろんな人間関係。
そこに、上も下も無い。
同じ人間。
迷いもすれば、失敗もするし、パワハラに遇うし、怒られもする。
人間が、人間であることに、変りは無い。
ただ、人間が人間のままに、ものごとの本質のあり方・普遍性・愛の調和・無条件の当て嵌まり・違いの無い同一性を知った。
別に、自分が仏様や神様になった訳ではない。
同じ人間のまま、例外の無い本質。
本質から見れば、つじつまが合っているだけ。
本質は、無償。
本質は、忖度無し。
本質は、例外が無い。
本質には、上も下も無い。
本質は、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天・声聞・縁覚・菩薩・佛も同じ。
地獄に生まれても、同じ。
極楽に生まれても、同じ。
何処に生まれても、本質は変わらない。
誰として生まれても、本質は同じ。
それが、生れを超えた気付き。
見栄を張る必要もないし、自慢する必要もない。
気付いても、普通。
凡夫のまま。
人間のまま。
神様仏様になった訳ではない。
人間が人間のままで、神仏と同じ本質を持っている気付き。
例外の無い当て嵌まり。
頑張る必要もない。
立派になる必要もない。
段階の無い当て嵌まり。
上下の無い当て嵌まり。
理屈のいらない当て嵌まり。
ただ一緒に歩んでいるだけ。
無償。
見返りなんて、口にするだけで、汚れた感じ。
いくら差し上げても、減らない。
涸れない。
無尽蔵。
一緒に歩いていると、傷つけたくないだけ。
裏切りたくない。
裏も表も無い。
ただそれだけ。
深い所では、誰もが同じ。
誰も傷つけたくないし、誰も傷つく姿を見たくない。
傷ついている方が居れば、何とかしたい気持ち。
理屈無し。
条件無し。
全面受容。
全面受容しても、一杯一杯にならない。
全面受容しても、たんたん。
疲れたら、寝るだけ。
深い相互理解。
思いやり。
深いところで。
恩着せがましくない。
上から目線が無い。
一見、訳が分からないように見えても、本質から見れば、つじつまが合っている一本の線。
大脳の知らない一本の線。
誰にも、惑わされない。
束縛の無い解き放ち。
思った以上に、力強い。
何とかなっている。
宗教とは、本来、そういうもの。
現代、ほとんどの宗教は、その宗教自体が苦しみの原因となって、人々を不幸にしている。
それでは、多くの人が無宗教なのも、当たり前。
あなたの宗教に、やさしさはあるの。
無償の愛はあるの。
思いやりはあるの。
口先だけではないの。
問題は、そこ。
やさしく無かったら、宗教ではない。
Comments