自分が、この世で、生きている意味は何?
自分にどんな存在価値があるの?
自分が、この世に居ても居なくても、同じなの?
自分は、なぜ、苦しいの?
自分は、なぜ、頑張れないの?
毎日、食べて、寝て、息をしているだけ。
先が見えない苦しみ。
いつまで続くのか分からない。
なぜ、死んではいけないの?
なぜ、世の中の役に立たなければならないの?
なぜ、世の中で、何かを成し遂げなければならないの?
なぜ、立派でなければならないの?
なぜ、落ちこぼれたの?
なぜ、落ちこぼれた人間は、だめなの?
ダメな人間は、生きる価値はないの?
なぜ、自分の命を、自分で終わりにしてはいけないの?
これから先、どうなるの?
こんな自分は、一生続くの?
生きていることにどんな意味があるの?
生きていて、これから先、どんな良いことがあるの?
そもそも、何がいけなかったの?
生まれたこと自体が、間違いだったの?
望まれていない子なの?
この世に、居なくても、同じなの?
もともと、この世にいるべき子ではない子なの?
そういうことに、自分なりの答えを、見つけない限り、死に向かう。
それは、スマホでも答えてくれない。
祖師の本でも、答えてくれない。
現代には、現代の、自分に合った公案がある。
その公案の答えを、自分で見つけない限り、根本的に生きる力が出ない。
誰に頼っても、力とならない。
お金持ちになっても、満たされない何か。
寂しい。
独りぼっち。
生きていること自体、虚しい。
満たされない感じ。
神仏にお願いしても、満たされない。
その時、分かったように思えても、また、分からなくなる。
本当に、納得したと言えない。
イメージトレーニングでも、元の木阿弥。
心を鍛えたように思っても、また、迷う。
お金で買えない、虚しさ。
一貫できない。
同じでない。
応用が利かない。
うろうろ。
頭で理解したら、うろうろ。
身に附いていなければ、うろうろ。
考えているようでは、うろうろ。
スポーツ選手も、考えなくても対応できるように、繰り返し、繰り返し。
職人さんも、同じことを繰り返し、繰り返し行うことで、体に身に附ける。
そこからの自由自在。
臨機応変。
頭で理解することと、体に身に附く分かり方は、レベルが違う。
身に附いていない限り、本当の答えになっていない。
観念では、力が出ない。
イメージトレーニングでは、力が出ない。
一貫できていなければ、本当に分かったと言えない。
答えと一つになっていなければ、本当に分かったと言えない。
無意識状態でも顕れていなければ、本当に分かったと言えない。
本当に分かったと言えるまでは、心は虚しいまま。
本当に分かったかどうかは、どんな状況でも、同じ分でいられることに依って。
その答えは、人それぞれ。
その答えは、人それぞれ自分で見出さなければならないが、その答え内容は、誰が見出しても、同じ。
大脳の知らない、広く深い心だった。
変ることのない、清らかな心だった。
生まれや、育ちや、死を超えて、時代を超えて、変わらない。
隔たりのない自由。
誰もが尊い。
誰もが等しい。
優劣は関係が無いんだ。
ダメな人間はいなかった。
全てを無条件で受け止めている。
受け止めても、変わらない。
どんなに受け止めても、一杯一杯にならない。
バタバしない、静かさ。
たんたんとした時間の流れ。
調和された法則。
普遍的当て嵌まり。
誰もが同じ。
分かり合えている喜び。
心の奥底での信頼。
沈黙。
無償。
静か。
たんたん。
微かだけども、確か。
大脳理解とは違う。
同じでいられる自分を、誰もが、等しく持っている。
他に求めなくても、答えを具えている。
教祖はいらない。
仏陀も、外ではない。
神の性質、仏の性質を具えている。
例外が無いんだ。
誰もが、無条件で、気が付けるものなんだ。
生きる意味は、本来、誰もが、等しく具えている、本当の自分に帰るため。
それは、大脳理解では無い自分。
そういう自分を、イメージしたら、大脳理解。
現代社会の問題を、一つ一つ、解決していく必要がある。
それも、心の問題として。
自分の深く広い心の面から。
それが現代における公案。
表面的なことからではなく、本質的な所から。
自分なりに答えを、自分の深い心を通して見出すことが、生きる力となっている。
繰り返し、繰り返し。
その確認。
いろんな場合において。
本当に分かったと言えるか、どうか。
そこからの、自由。
大脳からの解き放ち。
本当の自立。
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